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一期一会

ロシア実効支配の北方領土


外務省HP 北方領土訪問に関するQ&A

ロシアのメドベージェフ大統領が、日本から見れば北方領土の国後島を訪問した。
日本側は対抗措置として駐露大使を一時帰国させたが、ロシア側は予定通りAPECに参加、
メドベージェフもAPEC首脳会議に参加したいという書簡を菅総理に送った。
ロシアは中国のように逆切れはしませんよという余裕のメッセージである。
日本がいくら領有権を主張しても既にロシアに実効支配され、北方領土に入るにはロシアのビザが
必要で、ビザ無しの渡航は元島民の墓参りや日露両政府による四島交流などに限られている。
しかしロシアのビザを取ると言う事は、北方四島がロシアの領土だと認めた事になるので、
日本政府は一般の日本人がロシアのビザを取ってまで、観光などで北方四島を訪れる事をやめる
ように自粛を求めている。しかし北方領土に出す郵便物は万国郵便条約に基づき外国扱いと
なっている。
北海道の根室半島から北方四島までの距離は一番近い歯舞群島までは3,7㎞〜45,5㎞、
2番目に近い国後島までが16㎞、3番目は色丹島の73,3㎞、一番遠いのが択捉島の144,5㎞。
本当に目と鼻の先であり、自然環境に恵まれ海洋資源も豊富だが、日本の漁船が操業できるのは
日露漁業協定に基づく安全操業海域であり、そこを超えるとロシアの国境警備艇に拿捕される。
しかし、今年の1月にはこの安全海域で操業中にも関わらず銃撃されている。
北方四島を含む千島列島はサハリン州に属し、四島の人口は計約20,000人だと言われるが
(日本人がいても2世3世であり国籍もロシアである)、ロシア政府は2015年までに経済支援策
を施して約3万人に人口を増やす計画であるらしい。

北方領土に関して世界の説明では.....千島列島に最初にロシア人が住み着いて17世紀18世紀も
探検は続いた。しかし1855年日本とロシアは日露和親条約(下田条約)を結び、千島列島の
択捉島と得撫(ウルップ)島の間に国境線を引き、日本は南千島を奪い取り、1875年に全千島
列島を領有した。1945年のヤルタ協定(ルーズベルト、チャーチル、スターリンによる首脳会議)
に基いて島々はソ連に譲り渡された。日本人は引き揚げ、替わってソ連人が移住した。
日本は今でも南部諸島に対する歴史的権利を主張し、島々に対する日本の主権を回復するように
ロシアを繰り返し説得している。
日本政府の説明では.....日本はロシアより早く北方領土を発見、調査して19世紀初めには四島の
実効支配をした。1855年の日露和親条約で、日本はエトロフ(択捉)島以南を日本の領土、
エトロフ島の北にあるウルップ島以北をロシアの領土と互いに国境線を引き、互いの領土を確認
した(樺太は現状維持)。1875年の樺太千島交換条約で、サハリン(樺太)をロシアにあげる
代わりに、ウルップ島を含む千島列島をロシアから譲り受けた。
1904年、大日本帝国海軍は当時世界最大最強のロシアのバルチック艦隊を撃破したが、国力が底を
突き1905年のポーツマス条約で、ロシアにプレゼントした筈の樺太の半分を譲り受けた。
1945年、敗戦で日本がポツダム宣言を受諾してから、ソ連は対日参戦して(米ソ密約)、勝手に
北方四島を不法占拠した。1951年サンフランシスコ条約で、日本は樺太の半分と千島列島に対する
全ての権利を放棄。しかし、北方四島は千島列島ではないので関係ないというのが日本政府の
主張である。
世界やロシアは北方四島は日本が放棄した千島列島に含まれると言ってるが、外務省は北方四島
(南千島)は千島列島には含まれないと言っている。ここが大きな違いであり、戦争で負けて
放棄したかっての領地を返還して欲しいという言い分がすんなり通るとは思えないが、ソ連が
戦後すぐに勝手に不法占拠したのも事実である。戦争で勝ったり負けたりする度に、領土が
あっちに行ったりこっちに行ったり、しかし、エトロフ、クナシリ、シコタン、ハボマイ.....
アイヌ語で、アイヌ民族から土地を奪ったという点では日本もロシアも同罪だろう。
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by gyou-syun-u | 2010-11-05 21:22 | 世界情勢 | Trackback | Comments(0)
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