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スカイ・ハイ

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一期一会

ちょっくらプチ禅


現代の禅は壮絶な(以下略)と言うよりも、癒しの場に近いでしょう。
少なからずの瞑想の経験から言わせてもらえば、禅は動中の静、静中の動を
極める事ではないだろうか。相対世界をメタ認知する手法で、教えではない。
実際問題我々に〃現在〃というものは存在せず、過去が未来へと走っている。
存在しない筈の〃今と言う瞬間〃からの脱却を目指す事で、自分の発信源へと
遡ろうとする試みであろう。
正法眼蔵とは、答えは教外別伝、不立文字、無字真経で
眼横鼻直(アジナ)にありますよという事で、死を司る時間からの脱却であり、
永遠の生への入り口でもある。
無念無想を意識すれば無念無想に執着し、更には執着しない事にも執着する。
ありのままの自分で、あるがままに生きる事の何と難しい世の中でしょうか。
しかしながらLet it be

♪六祖慧能曰く....

達磨祖、西来の意、玄樞禪機の指破の他に何か事あらん。
堤唱、文藻を鏤め、行持、俗塵を脱落するも、即性是佛に道中の道あり。
目に一丁字無くも、骨髄の無文経は萬帙の蔵典を閲覧す。
風貌秀でず、襤褸を纏うも、現成の無位人に寳珠古鏡あり。
這箇点を凝念注視して大乗壁観せよ。洞壁に対せず、佛画に礼せず、
梵字を観ぜず、諸相観に頼らず。結跏趺坐は色身の座に非ず、面目の座に在り。
即擧即動、四時、本地に置いて随處に主と成る。
安心も茲に在り。守心も茲を離れず。信心も茲に窮む。
壷中に霊天地あり。只管入玄は三昧中の王三昧なり。

一を守りて守らず、守らずして守る執不執の間を執るを名付けて中道不二。
二見分別の虚妄を喝破し、忘機確執の雑論を嚇叱して、醍醐の珍寳を以心伝嗣す。
夫れ、道は眼耳鼻舌に非ず。青赤白黒に非ず。内外圓方に非ず。男女老幼に非ず。
一にして不可得、全にして不可得、而して全く可得。一に可得。
無に非ず、有に非ず、有無に非ず、非有に非ず、非無に非ず。
有を断じ、無を断ず。有為にして無為、有辺にして無辺、亦無辺にして亦有辺、
無辺に非ず、有辺に非ず。
常にして無常、有常に非ずして、無常に非ず。自性に非ず、他性に非ず。
無因に非ず、有因に非ず。一切時・一切境に在り。一時・一境にも在り。
生不生、滅不滅、一不一、異不異、来不来、去不去、二辺を抜きて中道に
至らしめるは、是れ大道。

無常を有常と為すは顛倒、無事を有事と見るは錯乱。実不実の戯論を闘うも、
聖諦の活計佛機を授記するに非ずんば、涅槃諸法も欺瞞なり。
般若の理趣は、方便に非ず、読誦に非ず、禪座に非ず、加持に非ず。
微妙法門の信解を大力とし、有余無余界の最勝慧智とす。
愚者に指を以て真を指すも、指に執らわれて義を悟れざるは末法の学徒。
元来、法に頓漸無く、人に利鈍有り。迷人は漸修し、悟人は頓修す。
末禪は漸悟し、本禪は頓悟す。元より迷悟不二、凡聖一如にして、
末後の一句を以て類生断じ、墜獄を塞ぐ。
家門に貴賎あるも、佛性に貧富なし。四趣・國王は同根にして、
かつりょう・佛祖は同性なり。

語録・公案幾千透破するも、心の糟粕を嘗むるが如く、詭弁を弄するに似たり。
剃髪、是れ出家に非ず。袈裟、是れ沙門に非ず。衣鉢、是れ法器に非ず。
寺は一身に在り。僧は自性に在り。印は心伝に在り。
禪浄即修するべし。虚空・西方は同界なり。理行を相応すべし。
学解・修証は同照なり。空観も頑空に偏らず、色不異空.真空妙有に中るべし。
空観も頑空に偏らず、色不異空・真空妙有に中(あた)るべし。
色を空ずるを以ての故に、色空に非ず、色性自ら空なり。空は無に非ず、
有は無に非ず。以て正真とす。空性の成り立つ處、一切が成り立つ。
道脈正統は、無念を宗とし、無相を体とし、無住を本とす。
by gyou-syun-u | 2005-07-09 13:51 | 天道

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