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一期一会

堯・舜・禹相伝「16字の心法」


      人心惟危 道心惟微 惟精惟一 允執厥中
四大文明のひとつである黄河文明(紀元前5000年頃)を経て、紀元前2000年頃の
夏朝の時代に、中国で伝説の聖帝が天下を統治していた頃のお話です。
何故伝説かと言うと、史書はあるものの、遺跡が発掘されていないからです。
人々は現代みたいに〃それほど〃心が荒んでおらず、王様の元で平和な暮らしを
営んでいました。この時代は世襲ではなく、最も徳が高く智慧に優れた人物が天命を
受け天下を統治しておられました。老子孔子や釈尊が登場する遥か以前のお話です。
堯(ぎょう)帝は平和な暮らしを営んでる民衆を穏やかな眼差しで見守りながらも、
人として生まれた以上、どうしても避けられない超現実的な問題が有る事を機敏に
察知し、舜(しゅん)に天下を譲る時、次の一句4文字を訓戒として伝えました。
             允執厥中
     「允(まこと)に厥(そ)の中(ちゅう)を執れ(とれ)」
これだけだと普通の人は何が何だかワケ解らないのですが、そこは聖王達の世界。
舜はこの一句で堯帝の言わんとすることを........
★人の心は肉体があるから、物欲に迷って邪道に陥る危険があり、
 本来人に備わってる道義の心は物欲に覆われ微かになっている。
 だから、人心と道心の違いを考察して、人心を交えず、道義の心を
 守って失わない様にして、道心が常に主となって、人心はその命に
 従うように心がけなさい!............と理解したのです。

そして今度は舜が禹(う)に天下を譲った時、もしかして禹がこの一句だけでは
悟らないかもしれないと思い、次の三句12文字を追加し訓戒としました。
        人心惟危 道心惟微 惟精惟一
     「人心惟れ危うし 道心惟れ微なり。惟れ精惟れ一」
つまり、「允に厥の中を執れ」と言うのはどういう意味なのかを12文字で
追加したのです。そして計4句16文字の心法が完成したのです。
      人心惟危 道心惟微 惟精惟一 允執厥中
(人心これ危うし 道心これ微なり これ精これ一 まことにその中をとれ)
そしてこの心法は禹の跡を継いだ湯(とう)帝から文王、武王、周公へと心伝され、
老子が登場してからは、道脈は帝王の時代から聖人の時代へとバトンタッチ
されていったのです。

心の体(たい)は虚霊にして知覚の妙用があります。
私達の霊を根と枝に分けると、道心は体(根)であり、人心は用(枝)になります。
喜怒哀楽の心は用であり主体ではなく、微かな本性理性が主体であります。
肉体から発する心は耳・目・鼻・口・四肢の欲であるから悪に陥りやすく、
耳は聞かなくても良い雑音も聞き入れ、目はあらゆるモノを追い求め、勝手に
美醜を判断し、鼻はフェロモンに誘惑され、舌と言う字も〃千の口〃と書く様に
善くも悪くもここから述べられます。
道心は別の次元から発せられる父母未生以前の面目であり、完全至善のものですが、
明らかにし難く、微かで微妙な働きをします。仮に人が魂だけの存在であれば、
善も悪も体感できません。肉体という衣を身に付ける事によって善悪精濁の演算を
無限に繰り返しながら、魂の向上を目指しますが、ある魂は上に昇り、ある魂は
下へ堕ちて逝く。例え聖人であっても、普通の人と何も変わらず、飢えれば食べな
ければなりません。つまり肉体は心同様に大事なモノなのです。
ただ、聖人は人心を持っていても〃私心が無い〃という事ですね。
この人心と道心が心の中に渾然と同居してるので、これを治める方法を知らないと
人心は益々危うくなり、微かな道心は益々微かになって隠れてしまいますよっと!
故に、人心と道心の間を精密に考察し、この二者を混雑させない事、つまり
「精一」とは一点即ち本性(玄関)を堅く守って失わない様にしない事が大事で、
それは中、即ち〃真空妙有〃を執ることですよっと!
真空とは〃大にして外が無く、小にして内が無い〃ことで、
妙有とは宇宙の真理のことであります。

【人心惟れ危うし】
心は万物の中心であり万物の主宰ですが、後天的な気質である人心は、
識と情で構成されており穢れ易く、五管を満足させる識神の声に流され易いので、
危険であります。
【道心惟れ微なり】
道心とは清浄無垢なる誠の心で、宇宙を生育し森羅万象を包括する源泉であり、
人に於いては皆さんに備わっている本然の理性のことです。
但し、この道心は不生不滅、不増不減であり、その微妙な働きは不可思議で
測り知れないので〃微〃というワケです。
【惟れ精惟れ一】
精とは精密を極めた光明のことで、一とは統一や中和を意味します。
つまり道心の功用は、光明を以て原形が壊れた状態を修正包括統御するということです。
【允に厥の中を執れ】
宇宙の真理である道の心に従い、誠の理に帰依しなさいという意味です。

.......ヒトの心は太古の昔から、基本的に何も変わってないという事ですね。
ただ、現代人は分析能力や自省能力が飛躍的に発達したため、宗教誕生の前や聖人が
登場するずっと前から危惧している帝王の意を、やっと理解できるようになった。
そしてこの真伝は「守玄」という天道の瞑想法として世に降りているのです。
守玄の功用として、私欲は無くならないけど、私心が限りなくゼロに向かいます。
                     
                                                                      ※参考資料 天道道義
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by gyou-syun-u | 2005-09-03 10:23 | 天道