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スカイ・ハイ

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一期一会

言葉は身勝手で、言葉は感情的で......


☆言葉は身勝手で、 
☆言葉は感情的で、 
☆言葉は残酷で、 
☆ときに無力だ
☆それでも 
☆私たちは信じている
☆言葉のチカラを

朝日新聞のジャーナリスト宣言のCMが少し気になります。
いろんなブログを見ると批判的な意見も目につきますが、私個人としては
「朝日新聞」という部分は抜きにして、このコピーだけを考えています。
IT社会においては、全てにおいてコンパクト化そして直接出逢わなくても何百キロ、
何千キロ、地球の裏の人達と言葉を交じわす事が可能だ。
昔の天道の御聖訓で、〃文字が出現した時、神々は嘆き悲しんだ〃とありましたが、
私は時々この意味を考えています。
ブログをやっていながらも、文字の力を過大評価はしてないつもりですが、
唯、その先に在る神の言いたい事は何なんだろうと、つい考えてしまうのです。

言葉にしろ文字にしろ、相手を追いつめ、時には殺す事も可能である。
逆に一言で相手の窮地を救う事もできる。その場合の言葉のチカラは決して無力で
はない。優れた歌詞などは皆の共感を得る。歌が不滅なのは言葉の持つ不思議な
チカラのせいでしょう。言葉を発信する時の念により、矛にもなり楯にもなる。 
ウェブ社会の匿名性の中では、直接相手と五感で対峙しない分、極端に言えば
イマジネーションを駆使して誰でも愛する事ができる。つまり直接的な攻撃を
受けない限りにおいては、全ての相手に寛容な心をもって対応する事が可能である。
しかし現実の社会においては、五感で相手の温度を感じ対応しなければならない。
目まぐるしく脳内のニューロンが発火する現実の社会生活に較べると、その頻度は
低下し情報の伝達も緩やかになる分、書物を読む様な感覚で感情を整理する事が
できる。ペンは剣よりも強しと言いますが、ペンの世界でさえ強さや弱さが在る。
力強い言葉は善くも悪くも相手の心を撃ち、弱い言葉は相手の胸に届かない。
その言葉の強弱は一般的な文章の構成力を超える処から発せられると思われますが
そこに霊が宿る。そしてリアルの社会に信じるべき言葉が少ないからこそ、皆、
自分の信じることを表現したいのだろう。

1億総ジャーナリスト宣言とも思えるが必ずしも共感を求めている訳ではなく、
身勝手で感情的で残酷な言葉はターゲットを求めて徘徊する。
感情は見えない空間を振動させ衝突を繰り返し波紋を創る。
それでも霊的に武装した言葉は、不自由な空間を突抜け、美しい日本語は境界線を
突破する。言葉の記号化が進化していく中においても、時々ほっとする言葉や
文章に出逢う事があります。個人的には、それは誠実な言葉であったりします。
アジテーターの言葉とビートルズの言葉との線引きは難しいが、人々は心地よい
言葉を選ぶ。快楽文化の温床となった地球の文明にとって必要なのは、厳しいが
心地よい....そんなメッセージかもしれない。
信じたいものだけを信じる傾向がある人類にとって、言葉のチカラを信じる事が
最優先課題だろうか。言葉より行動だ!と唱える人も少なくないだろう。
権力のチェック機能であるジャーナリズムの裾野が広がったとしても、根底に
あるのは個人の信じる事の表現であり、世界の中心で自己を主張したいのである。
しかしながら、言葉は暖かいということだけは信じたいものである。
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by gyou-syun-u | 2006-02-22 22:01 | 国内情勢・世相