ブログトップ

スカイ・ハイ

harock.exblog.jp

一期一会

脳科学の挑戦<小さな神の視点という名のメタ認知>


脳科学の領域においては、実体としての神の視点は絶対に認めなかったのですが・・・
「我思う。故に我あり」の言葉を使った近代合理主義の始祖と言われるデカルト。
客観性を重視し続けてきた近代科学の合理主義世界に、パラダイム・シフトの兆しが
見え隠れしております。前時代のパラダイムをシフトしたデカルトの次に来るのは誰?
複雑系の中心に位置する脳科学の世界が、今一番面白いです。 
脳科学の方が精神世界に歩み寄って貰いたいのですが。
数学者でもあったデカルトは客観性を重視しましたが、その思念は測定や観察による
データ重視の世界観を科学界に送り込み、迷信や妄想或は人間の直感でさえも
科学から排除しました。この時から精神世界と科学は完全に分離してしまいました。
そのおかげで時代は功罪共にシフトし、観測機器の性能アップに伴い科学は飛躍的に
進歩しましたが、合理主義の流れは、ヒトの心の隙間までデータで埋め尽くして
しまいました。

私が私であることを意識すると言う場合、従来の脳科学の考え方は、
感覚器官のデータを統括処理する脳内の機能別分野自体が、私の中心へと情報を
纏め上げ意識を作り出すというもので、五感が合流して「私」という意識を作り上げる
というものですが、実際には見るという行為だけ取っても、目を開けた時点で、既に
私と言う視点、意識が存在し瞬時に世界(空間)を認識します。
この当たり前過ぎる行為の本質が脳細胞の活動だけで説明しきれない部分で、
脳科学の壁である心脳問題です。
従来の思考は点が集まって段々と複雑なシステムを作り上げるというイメージですが、
意識する時は、逆に点が一瞬で全体を見渡すというイメージですよね。
つまり、情報が最終的に合流する〃私という神経細胞〃あるいは特定の部位が存在
しなければ、一瞬にして世界を見渡す「私」の説明がつかないという事です。
しかしながら、私と言う名の神経細胞は見つからないだろうし....
(不変更ニューロンというのがありますが....)
というワケで機能局在を突き詰めるよりも、脳全体のシステム論を再構築した方が、
良いのではないか?という事で、認知心理学用語のメタ認知(メタ=超.....通常の認知
をより高い次元から修正したり制御する機能)を主軸に、もう1度、ゼロから、根本から
見直そうじゃないかと言う方向性が芽生えつつあるみたいです。
神経細胞が情報を伝達する時は当然物理的時間が必要ですが、見る聞く情感を覚える
などの機能別部位は脳内空間の離れた位置にあります。既存の考えでは細胞同士の
相互作用は近接したものどうしで起こり得るもので、離れた空間にある細胞の相互作用は
起こり得ない筈ですが、「私」という視点が世界をクオリア(質感)として意識する時
は、細胞どうしが物理的時間や空間を簡単に超えて関係性を持ってしまう。
おまけに、神経細胞は物質なので、永遠ではなく生成消滅を繰り返します。となると、
「私」は一体どこにいるのか・・といいう問題であります。そこで、統合された情報を
更に瞬時に認知する〃メタ認知的〃何かが存在するのではなかろうか?という事です。
脳科学で言う神の視点とは、勿論宗教上の神様の事ではなくて、情報を統括して意識と
して世界を見渡す「私」の視点の事です。

脳内の神経細胞の情報処理の速度が、コンピュータに比べて遥かに遅いのに、
人間はあらゆる状況に対応するだけの演算能力を有するのは、脳が膨大な並列計算を
するからですが、それらを統括するメインのスーパーチップは何処に?
しかしながら、意識の根源、意識の中心でこれだけ壁にブチ当たってるのが現時点の
脳科学でありますから、神経細胞が全て死滅しても「存在する魂」に至っては解明は
無理かもしれません。コンピュータは壊れてもそれまでのデータは残ってる!じゃあ、
科学者を納得させる事はできませんからね。
この先は温故知新の宇宙論へと続く。。
でも、科学者は皆、未知の領域を解明しようとガンバッテるのだ!!
[PR]
by gyou-syun-u | 2005-05-31 22:42 | 科学