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スカイ・ハイ

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一期一会

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今回のトリノでは、日本勢はマスコミの予想を覆し惨敗の結果に終わりましたが、
最後に女子フィギアで荒川静香が見事に金メダルを取りましたね!おめでとう!
個人的には村主の憂いの在る演技も好きでしたが(銅メダルでも良かった.....)。
しっかし、一昔の選手のデカイ太腿のイメージはなくなり、皆スマートですね。
足も細いし、顔も段々と美形になりました。次は真央ちゃんですな.......
好きこそ物の上手なりと言いますが、それを芸術の域まで達するのは、如何に天才
と謂えども、やはり少年少女では無理なのだろうか。
4年に1度の一発勝負故、体調管理もシビアだろうし運不運も大きく左右する。
見てる分には何でも好き勝手な事が言えますが、やる方の身にとっては大変だ。
先日のNHKの特集で、今回のトリノからフィギアの採点方法が変更になったそうで、
審査員の主観的な曖昧な採点方法から、技術点において基準が設けられたそうで、
より客観的な審査方法になり、ロシアの女性が〃こけた〃とは言え、荒川の金は
実力で勝ち取ったものだと思います。イナバウワーという名前を知りました.....
ところで、アルペン大回転で日本人の入賞が50年ぶりの入賞とはこれ如何に。
と言うか、入賞した選手はある意味凄い快挙かもしれません。
冬季オリンピックは長野がひとつのピークで、全体的にヨーロッパ勢が相変わらず
強いですね。その日限りの真剣な一発勝負のオリンピックで、全力の極致を繰り
広げる姿は、政治色を排した世界共通の価値観を共有するものであり、母国と世界
の違いを発見でき、ポジティブな世界感を築ける良い機会でもあると思います。
要するに〃頑張る〃は世界共通語なのだ。

メダルが分散化傾向にあるらしいですが、日本の場合あらゆる種目で上位を目指す
のが至上命題になってる感じがして、楽しむ要素が少し欠けてる気もします。
スノボなどは本当に好きなんだろな!と思いますが、今回は上には上がいましたね。
また世界選手権や4年後のオリンピックで頑張って欲しいものです。
日本選手にはイチローみたいに、オンリーワンが結果的にNo,1になると言うケース
が少ない。イチローの姿は〃真面目さの進化形〃に観えます。
人間性は知る由もありませんが、地道な内なる見えざる努力の結晶のようなものが
外見から感じ取れます。

オリンピックと並行して流れる世界のニュース。どちらも現在の地球。
スポーツで一つになれるのは恵まれた国々で、遊ぶ事を知らない子供達も
世界には多い。虚飾と真実が入り乱れる中で、人は信じたいものを信じる。
今、日本とボスニアのサッカーの試合が行われてます。事実、世の中にはサッカー
しか興味ない人もいるだろうし、オリンピックとか見ない人もいるでしょう。
分散化されたフィールドに人の集合意識が渦巻く時、それは感情のピークであって、
聖なる祈りの類いとは少し違う。世界中のあらゆる場所で点滅する感情は、愛では
なく、怒号や怒り悲しみや歓喜といった、きわめて人間臭いものだ。
金メダルの荒川静香の演技には、この人間臭さをある意味超えた美しさがあった
ような気がします。
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by gyou-syun-u | 2006-02-28 21:56 | 国内情勢・世相 | Trackback | Comments(0)

☆言葉は身勝手で、 
☆言葉は感情的で、 
☆言葉は残酷で、 
☆ときに無力だ
☆それでも 
☆私たちは信じている
☆言葉のチカラを

朝日新聞のジャーナリスト宣言のCMが少し気になります。
いろんなブログを見ると批判的な意見も目につきますが、私個人としては
「朝日新聞」という部分は抜きにして、このコピーだけを考えています。
IT社会においては、全てにおいてコンパクト化そして直接出逢わなくても何百キロ、
何千キロ、地球の裏の人達と言葉を交じわす事が可能だ。
昔の天道の御聖訓で、〃文字が出現した時、神々は嘆き悲しんだ〃とありましたが、
私は時々この意味を考えています。
ブログをやっていながらも、文字の力を過大評価はしてないつもりですが、
唯、その先に在る神の言いたい事は何なんだろうと、つい考えてしまうのです。

言葉にしろ文字にしろ、相手を追いつめ、時には殺す事も可能である。
逆に一言で相手の窮地を救う事もできる。その場合の言葉のチカラは決して無力で
はない。優れた歌詞などは皆の共感を得る。歌が不滅なのは言葉の持つ不思議な
チカラのせいでしょう。言葉を発信する時の念により、矛にもなり楯にもなる。 
ウェブ社会の匿名性の中では、直接相手と五感で対峙しない分、極端に言えば
イマジネーションを駆使して誰でも愛する事ができる。つまり直接的な攻撃を
受けない限りにおいては、全ての相手に寛容な心をもって対応する事が可能である。
しかし現実の社会においては、五感で相手の温度を感じ対応しなければならない。
目まぐるしく脳内のニューロンが発火する現実の社会生活に較べると、その頻度は
低下し情報の伝達も緩やかになる分、書物を読む様な感覚で感情を整理する事が
できる。ペンは剣よりも強しと言いますが、ペンの世界でさえ強さや弱さが在る。
力強い言葉は善くも悪くも相手の心を撃ち、弱い言葉は相手の胸に届かない。
その言葉の強弱は一般的な文章の構成力を超える処から発せられると思われますが
そこに霊が宿る。そしてリアルの社会に信じるべき言葉が少ないからこそ、皆、
自分の信じることを表現したいのだろう。

1億総ジャーナリスト宣言とも思えるが必ずしも共感を求めている訳ではなく、
身勝手で感情的で残酷な言葉はターゲットを求めて徘徊する。
感情は見えない空間を振動させ衝突を繰り返し波紋を創る。
それでも霊的に武装した言葉は、不自由な空間を突抜け、美しい日本語は境界線を
突破する。言葉の記号化が進化していく中においても、時々ほっとする言葉や
文章に出逢う事があります。個人的には、それは誠実な言葉であったりします。
アジテーターの言葉とビートルズの言葉との線引きは難しいが、人々は心地よい
言葉を選ぶ。快楽文化の温床となった地球の文明にとって必要なのは、厳しいが
心地よい....そんなメッセージかもしれない。
信じたいものだけを信じる傾向がある人類にとって、言葉のチカラを信じる事が
最優先課題だろうか。言葉より行動だ!と唱える人も少なくないだろう。
権力のチェック機能であるジャーナリズムの裾野が広がったとしても、根底に
あるのは個人の信じる事の表現であり、世界の中心で自己を主張したいのである。
しかしながら、言葉は暖かいということだけは信じたいものである。
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by gyou-syun-u | 2006-02-22 22:01 | 国内情勢・世相 | Trackback(1) | Comments(0)

デンマークの新聞のムハマド風刺画の火種が、全世界のイスラム信徒の怒りを
買ってますが、デンマーク首相の「我々は自由な民主主義国家である」と言う
発言では済まされない事態になって来ました。
言論や表現の自由は確かに民主主義の骨組みである。しかし自由の本質は微妙で、
ある意味リスク込み、或は自己責任の名の許での自由でもある。
日本でもイスラム教を侮辱した「悪魔の詩」の訳者が惨殺された事件がありましたが、
特にイスラム信徒は、他の宗教に較べると〃真っすぐに熱烈〃であります。
ゆえに教祖を侮辱されたら怒りまくる!我々であれば多少侮辱されても大人の
対応をしたり、ある程度の寛容さを持ち得るが、反米を掲げる一部のイスラム教徒
は攻撃の材料にする(本来のイスラム教は寛容であります)。
然し乍ら、イスラムの信者は世界各地に居るのだなと認識させられました。

ブッシュ大統領は先月の演説で、アメリカは石油に依存している....
これからは燃料電池自動車などの開発を促進する...といった内容を述べた。
大量消費国であるアメリカはエネルギーの支配力を持っていながら、途方も無い
原油の消費国であるから原油価格の変動に即影響を受ける。故に将来的には天然ガス
にウェイトを置き、ユーラシアに資源確保のパイプを移そうとする予定らしい。
パレスチナ自治評議会の選挙でハマス(イスラム抵抗運動)勝利、そして
イスラエルのシャロン首相の政界引退など中東和平崩壊の兆しに限らず、
昨今の反米の嵐は、アメリカ式民主主義では中東の和平を実現する事は不可能で
あると悟ったとでも言いたげな内容である。
アメリカの中核を牛耳るユダヤロビーと小さな巨人〃イスラエル〃。
ハマスとは一切交渉しないと断言したブッシュ政権。ハマス政権は何となくヤクザが
政治家になったように感じますが、パレスチナもイスラエルも聖地エルサレムを
目指す事に関しては一歩も譲らない.........
世界的に排他的ナショナリズムが蔓延する中、国家の枠組みを超えて集結できる
モノは〃金〃以外の何ものでもない。しかし資本家マンセーの経済援助は後進国の
隷属化に他ならず、真に和平を望むなら、既存のパイの取り合いでは無く、
新たなるパイが必要になる。
アメリカが次世代のエネルギー覇権に移行するかどうかのシフト転換なのだろうか。
資源国家のアラブは石油が外交の武器となるが、世界最大の石油消費国である
アメリカが石油に変わる新エネルギーに傾倒すれば、最大の顧客は中国となる。
人類はこの先ずっと化石燃料を使い続けるだろうという風説の流布は、
宇宙時代にはまったくそぐわない話ではある。

話は変わって、アメリカと韓国の間の自由貿易協定で、韓国映画の上映回数を
規制する韓国政府に対して、抗議デモをする韓流スターの姿がTVに映ってましたが、
未だにアメリカと韓国の力関係はこんなものなのか....と思ってしまいました。
フランスは母国語やフランス映画を守る立場を取っていますが、日本人の感覚
からすれば、仮に国内で日本映画が衰退の一途を辿るにしても、何もアメリカ映画の
せいだとはあまり思わなくて、日本映画の反省が先に立つ。それがあらゆる文化を
共有しようとする現代日本人の特質なんでしょうが、最近は受け入れ過ぎて
飽きちゃって温故知新と言うか、骨なしのサンマを喰ってると言うか、もっと
日本語を大事にしようという流れになってるのかなという気もします。
しかし、「シュリ」にも登場したチェ・ミンシクは誠にシブイですなぁ。
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by gyou-syun-u | 2006-02-09 22:40 | 世界情勢 | Trackback | Comments(0)