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スカイ・ハイ

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一期一会

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先日のNHK「クローズアップ現代」で新書の特集をやってて、手頃な価格と
昔みたいな専門分野だけではなく、それ以外の解り易い内容が今ブームになって
大手出版社がこぞって新書を次々出していると言う話であった.....と言う訳で
ベストセラーになっている藤原正彦著「国家の品格」を読んでみました。
大体どんな内容かは想像できますが、想像した通りの内容でした。
勿論皮肉では無く、痛快な語り口で禿げしく同意した次第であります!

数学者である著者は30代の頃は論理重視のアメリカ流だったそうですが、次第に
論理だけでは解決し得ない様々な問題がある事に直面し、日本の伝統文化の形や
情緒が世界をまともな社会に戻す唯一の希望なのではないかと思う様になった。
別に合理性や論理がいけないと言う事ではなくて、論理的思考の上にそれを
統括する形が必要であると説く。
現在、日本を含めた先進国が、学生の数学離れや本を読まないとか、皆同じ様な
問題を抱えているそうで、日本で言えば真の国際人になるためには、小学校から
英語を教える必要は無く、日本の歴史や読み書きを徹底的に教えるべきだと訴える。
英語を話せるのが国際人ではなく、話す中身が問題なのだと言うが全く同意です。
日本に、そして今の日本人に一番足りないモノは気品と自信であると思いますが、
家族形態がガラッと変わってしまった現代においては、それらのささやかな慣習すら
も家族の繋がりの中で身に付ける事が難しくなりました。躾けすら外に求めなければ
ならない社会というのはやっぱり異常でしょう。
弁護士と精神カウンセラーの数がが桁外れに多いアメリカは
紛れも無く病んだ国であると言う訳であります。

<自由と平等について>
著者は自由と平等という概念は欧米社会が作ったフィクションであると喝破する。
民主主義社会においても自由と平等は衝突し、人間ですらも生まれ堕ちた瞬間から
自由はないと捉える。確かに論理的に考えれば社会には様々な規則や制約があり、
倫理や道徳に縛られ生活しなければならないと思いますが、人間は機械ではない
のだから、心の自由においては無限の可能性を秘めています。
日本人の異質性については昔から言われている事ですが、人として大切なものを
神と契約しなければ学べないキリスト教社会に較べ、日本人のDNAには、学ばなく
ても生まれながらに身に付いている何かがあり、自然と人間は一つであるという
感覚を備えている類い稀な人種であるというのは間違いではないと思うし、それが
日本人の特性だと感じます(もっとも現代の日本人に、それが汚染されつつあるの
も事実でありますが...........)。
自由と平等は論理的に説明できないものであることは著者も認めていますが、
それ故に、事あるごとに自由や人権を強調するアメリカの言い分は当時の王政に
対抗する為の大義名分としては論理的に正しかったが、合理性や論理性を突き詰めた
結果である今の世界においては、自由と平等は本来の崇高な本質から中身が抜け出し、
万人向けの単なる美しい言葉に成り下がっていると言いたいのであります。
私見を述べると、〃輪廻転生の名の許に人間は皆平等である〃になり、
自由に関しては、〃輪廻の鎖に縛られている人間は自由ではない〃になります。
しかし、自由も平等もその本質は高い精神性の中にのみ存在すると個人的に思って
います。この本には藤原氏の宗教感が詳しくは述べられてませんが、「神は矛盾を
犯さないから自由と平等が神から与えられたと言うのは真っ赤な嘘だ。何故ならば
自由が不自由を生み、平等が不平等を生む現実においては自由と平等は両立しない
からであり、結果、神は自由も平等もこの世にはもたらさなかった(要約)」と
述べています........

<日本の役割>
共産主義が滅び、資本主義もその根底が大きく揺らぎ始めた現在、少なくとも
マネーゲームを良しとする輩はそういないでしょう。市場原理主義にしても
富が大衆に還元される訳でもなく、ほんの一握りの階級が独占して行く事に
変わりは無い。この移ろい易い現実に飲まれて、必死こいて〃勝ち組〃になろうと
もがく事は決して無駄な努力ではないけれど、もっと大事なものは、すぐ散って
しまう桜の花びらを美しいと思い自然と同化するその感受性であり、日本人の根底
に流れる情緒であり、敗者への同情や慈愛や正義などを中核にする武士道精神の
復活が必須であると著者は強調する。
私もほぼ同意で、ライブドア事件を反面教師として日本人の徳性に火が点いて
欲しいと思います。昔の日本人は貧しくても品があったそうであります......
多くの日本人が慈愛や道徳を個々に心がければ、自ずとして国家の品位も上がる。
他者への心配りや気配りは少し廃れたとは言え、まだ健在で日本人の得意分野で
あります。世界がこの価値観を認めないのであれば、間違いなく世界は滅びます。
それでも何らかの形にして、この心意気を世界に伝えなければならないと思います。
著者に言わせれば、例え世界の経済がメチャメチャになっても、〃たかが経済〃
だそうである。心が瓦礫の様に崩れ去るよりはずっとマシだという訳であります。
それでは皆様方!襤褸は着てても心は錦でGO!!!マッハGOGOGO..........
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by gyou-syun-u | 2006-03-31 20:09 | 国内情勢・世相 | Trackback(2) | Comments(0)

先日「バタフライ・エフェクト」と言うビデオを見ました。
日記を読むと時間を遡り、過去に戻れるという能力を持つ主人公が、ifを繰り返し
周りの人間をハッピーエンドの結末に導こうとする映画です。
平行宇宙的に考えると、ifが可能なら一人の人間に無数の人生が存在する。
その中のたった一つの人生を我々は認識しているに過ぎないと言う事になります。
あの時あぁすればこんな結果にはならなかっただろう......と悔やんだ経験は誰にでも
あると思いますが、人生にifは禁句なのかもしれない。同じ人間が過去に戻っても、
また同じパターンを繰り返すだけで、あまり意味は無いと思われます。
結果オーライではなく、失敗や成功その過程に醍醐味があるのだと信じたい。

このタイトルは、天気予報はなぜ当たらないかを説いたMITの気象学者だった
エドワード・ローレンツのカオス理論で、その特質は初期条件が僅かでも狂うと
最終的には全く違った結果を生み出すと言うもので、「ブラジルでの蝶の羽ばたきが
テキサスで竜巻を引き起こすか?」と言う講演から蝶々効果と呼ばれるものです。
直接的な因果関係を示す〃線形〃に対して、カオス理論は〃非線形或は複雑系〃
と呼ばれる。ある規則を前提にして予測出来る線形に対して複雑系は最初のズレが
僅かでも違うと全く予測不可能な結果を生む。つまり予測することが難しい。
ここに時間と空間という異なる性質を持つ世界に包まれる我々生命体の因果律が
存在します。このカオス理論は脳や心の領域と言った複雑系に当てはめる事ができ、
絶えず修正または自分を律する行為を反復しなければ、ほんの僅かな心の迷いや
揺れが、知らない内にトンデモナイ結果を招いたりもします。
心の性質であるブレが時には良い方向へ行く時もあるだろうし、自滅する場合もある。
時間の矢は過去から未来へと飛んで行きますが、時間は万人に平等に与えられるもの
でありながらも、その状況次第で1日がえらく長く感じたり、あっと言う間に過ぎたり
しますね。時間は確実に時を刻んではいるけれど、使い方次第で多少のコントロール
ができる。例えば瞑想する場合、その時空は明らかに日常の時空と異質なものであり、
特に重力を意識しない瞑想は、まるで時間を支配した様な錯覚に陥ります。

我々が過去を思い出す時、脳細胞の時間の矢は当たり前の様に未来へ飛んでいますが、
心は過去や遠い未来へ飛んでいます。ここが心が非物質性で、時間の反転をも
含めた素粒子の非局所性(物質から波への変換)と共通するものがあります 。
量子力学の多世界解釈や荘子の胡蝶の夢に共通する実体と虚像の狭間をヒトは
どう認識しているのかという問題で、我々は観測者であると同時に観測対象物でも
あると言う事です。自己をみつめると言う時は観測者も観測対象物も自分です。
光の2重性(光は粒子であり波である)や、シュレディンガーの猫のように、
人間も生きてる状態と死んでる状態が表裏一体で存在し別世界を構成する。
このような考えは霊魂を考える上では都合が良い。人間は複数の時空、又は場の
集合体、肉体の動きも静と動と組み合わせ、更に宇宙は無限性を持った有限体。

〃思考停止〃という言葉は悪い意味で捉えられる事が多いけど、インスピレーション
を受ける時などは思考の産物とは別物で、時間軸を離れた所から突然それはやって
来ます。時間はあらゆるものを支配しますが、流れる限り時は刻まれ、それが止まれば
世界は死んでしまう。思考する時は情報を分離、分割して改めて整理するという作業を
繰り返しますが、思考停止はその分離した情報を元の海に戻す。あらゆる情報を優しく
包括する大いなる海は、思考そのものも包み込もうとする。思考停止の危険性は
ポジティブかネガティブかで決まる。停止の先に在るものを見据えない限り、八方
塞がりの迷路に安住するだけであります。 
過去に戻っても切なくなるだけ。失った時間を取り戻す事はできない。
高速度カメラで撮った画像をスローで再生するように、時間を捉える事ができるなら
ヒトは間違いをいち早く修正できる余裕が生まれるのでありますが.....そうもいかない。
世界のどこかで目覚めた小さな喜びが、何時の日か巨大なシナジー効果を生み出す。
逆もまたしかり。せつないハッピーエンドもまた楽し.......
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by gyou-syun-u | 2006-03-23 10:32 | 科学 | Trackback(2) | Comments(0)

最近読んだ本の中で、鈴木宗男事件で逮捕された元外務省主席分析官の佐藤優著
「国家の罠」サブタイトル外務省のラスプーチンと呼ばれて.....という本が以外と
面白かった。固い内容かと思ってましたが、素直な語り口に好感を持ちました。
佐藤氏は現在控訴中の身でありますが、時々雑誌の顔出し始めましたね。
ラスプーチンというのは帝政ロシアの怪僧で、祈祷や呪術を使い次第に時の皇帝
ニコライ3世のお気に入りとなったとされてるそうですが、時の小渕総理の時代で
言えば、佐藤氏は外務省に強い影響力を持っていた鈴木宗男氏のお気に入りとなる。
田中眞紀子や辻元清美が鈴木宗男パッシングをしていた頃のお話ですね。
そして最期には外務省の反鈴木陣営、もしくは国家権力から排除される格好となった。
故に外務省のラスプーチンと呼ばれる訳でありますが、当の佐藤氏は別に呪術など
を使う訳でもなく、著書を読む限りにおいては、ごく普通の極めて真面目一本の
人物像が浮かんでくるのですが、しかしながら〃国家〃の仕事はやはり大変である。

小菅の東京拘置所で思い出したが、昔〃通りすがりのアルバイト仲間〃が窃盗で
捕まり収監され、その後小菅から一通の手紙が届いた。
「出所したら友達になって欲しい」と..........
盗みをやる人間には見えなくもなかったが、前科があったみたいである。
友達になって欲しいだと?ふざけるな!その前に言う事があんだろう!という訳で、
拒否したのは当然である。
人は誰でも過ちを犯す。過ちの度合いも、償い方も人それぞれであろう。
一生背負って逝く者もいるし、過ちを過ちと気づかずに人生を終える人もいるだろう。
花が折れただけで心を痛める人もいれば、土足で人の心を踏みにじり、のうのうと
してる人もいる。

しかし国家を相手にするという事はどのくらいの重みなんだろうか。
佐藤優氏はロシアのエキスパートであるが、学生時代に神学専攻だった事がとても
興味深い。ノンキャリアでありながら第1線級の情報に接する外交マンで、国益優先
を第一に考える姿勢は、女や馬に機密費を使ったキャリア組に見せたいものである。
背任と偽計業務妨害容疑で執行猶予中の身であるが、、出逢った政治家が悪かった
のか.....唯、この本で鈴木宗男氏に対するイメージが少し変わりました。
週刊誌や新聞報道だけでは解らなかった裏の世界が観えて、外務省私物化や、
その人格や立ち振る舞いは別にしても、北方領土問題始めロシアやイスラエル人脈
など、何故当時の外務省に影響力を持っていたのかが理解できました。
著者は鈴木氏を評価しており、田中眞紀子や辻元清美とはベクトルが違っていた。
疑惑の総合商社と言う表現は、的を得ていない訳でもないが、国家的な裏情報を知り
得る立場であった事は確かなようである。ちゃんとした情報機関が存在しない日本
では、裏情報を持つ政治家は貴重な存在である。
外務省内の派閥争いも興味深いし、今の対外交渉を見てると本当にふがいない!
担当検察官とのやり取りも、論理的手法から徐々に人情味が加味された応酬に
なり面白い。被疑者も大変だが、それを立証しなければならない検察側も大変だ。
現在収監中の堀江容疑者とだぶって、あ〜こんなやり取りをしてるんだな〜と納得。
堀江は幻想の錬金術に心を奪われたと思う、一貫して容疑を否認している様ですが、
佐藤氏は超現実を重んじ、自分の身より国家を優先した。

検察官が「国策捜査で掴まる人達は皆才能があるから、またそれを社会で役に立てる
様に執行猶予をつけるのが特捜検事の仕事だ」と述べるあたりは、検察全体の意向な
のか、それとも担当検察官の個人的想いなのか、国家の罠というタイトルと共に
考えさせられるものがありました。
我々の日常とはかけ離れた世界で、堀の中もピンキリであるとまた納得。
こんな中、鈴木宗男氏は政治家として復活。
佐藤氏もジャーナリストとして復活して頂きたいと、八方塞がりの外交の中
切に思う次第であります。
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by gyou-syun-u | 2006-03-12 19:16 | 国内情勢・世相 | Trackback | Comments(0)