決死の覚悟
脱北者一家が乗った船が青森の港に辿り着いた。韓国を目指していたそうだが、潮流に
流され青森に辿り着いた様子である。船というより全長7メートル足らずのボロボロの
木製のボートであった。4人は僅かな食糧と着替えを載せ6日間漂ったそうですが、
「息子がタコ漁に使ってた船だ」と母親が語ったそうである。安倍総理は人道的立場から
彼等の希望を尊重し、韓国政府も受け入れを検討する事になった。
「北朝鮮憎し!」と言っても憎いのは北の政府であって、虐げられている北の国民では
ないのだから当然ですね。彼等のような脱北者にとっては決死の覚悟である。
しかし21世紀になっても祖国を捨てざるを得ない状況が存在するという事実に悲しみを
覚えてしまう。過去何百人何千人が北から逃れようとしたのだろう。
己の人生を振り返って見ると、決死の覚悟で何かに挑んだ事は未だかってないと気付く。
捨て身はあっても死を覚悟したのでもなく、それは自暴自棄やなげやりの延長であった。
もし自分が北朝鮮に生まれていれば脱北者となり得たであろうか。
脱北者にとっては、闇から光への旅立ちであるが、何気ない日々の暮らしが
彼等にとっては光の世界となるのである。
それに反して松岡利勝前農水相は闇から闇への旅立ちとなった。以前から黒い疑惑が
噂されてたとは言え、安倍総理は論功賞で入閣させてしまった。真実を話せなかった
松岡氏もまた使い捨ての駒であったのだろう。巨悪は中々表に出ない物であるが、
安倍内閣の誕生で政界の世代交替が進む事を望んでいたが、それも幻想に終わった
感がします。松岡氏の奥さんや支持者が口々に「松岡は誇りです」と述べる言葉の奥には、
日本人の深い情の功罪が多分に含まれる。
しかしアメリカがいくら圧力をかけた処で、日本人から情が消えて無くなることはない。
松岡氏は決死の覚悟ではなく死ぬ事を選んだ。
政治家の死はすぐに忘れ去られ、何ごとも無かった様に国会の茶番が永遠と続いていく。
醜い日本ばかりで、もはや女性の支持さえおぼつかないだろう。
いつになったら美しい日本を思い出させてくれるのだろうか。
by gyou-syun-u
| 2007-06-03 22:56
| 国内情勢・世相